R. I. P. Phill-San

コーブパークがSUP天国になってからここのメンバーも入れ替わり昔からここを守っているローカルサーファーたちもあまり顔を出さなくな ってきたが、まだSUPが無かった頃はここでも毎年16歳まで参加できるロングボードの子供大会が開かれ我が家の息子も常連で、いまをときめく近所に住んでいたカイレニー君などと戦ったりしていた。なにせ参加費無料で子供の好きそうなお土産はたくさんくれるし無料でおいしい昼食まで食い放題だった。我が家もメンバーのパパヘエナルというコーブのサーフクラブがこの頃は積極的にいろいろな活動をしていてホキパビーチのようにマウイ郡から公園の管理を任されバナナやタロイモを育てたりベンチを作ったり前述のコーブの子供大会を主催したりと活気にあふれた時代だった。今思えば波も毎日のようにあった気がするがそれも自分の波に対する見方がだんだん贅沢になってきている故の勘違いかもしれないと思い、その頃の仲間に「昔の方が毎日波があった気がしないか?」というと「俺もそう思う」といってくれたのでまんざらそういう訳でもないかもしれない。

子供大会のジャッジはマウイ島のボス的存在のローカルロングボーダー達が引き受けてくれその中にはパパヘエナルのビル・ロドリゲス会長が亡くなってからの後任、フィルもいた。ここの顔的存在のカマもハワイアンらしいゆるくて愛情いっぱいのMCで大会を盛り上げてくれた。

そのカマから一昨日電話が入り、フィルが亡くなった知らせを聞いた。あまりに突然のことで実感がわかなかったし葬儀にも顔を出せなかったのだが今朝久しぶりにカマがロングボードで海に入ってきた。「ヒロ、俺たちのやり方でフィルを供養しようぜ」とボードの上には袋に入れたプルメリアの花がいっぱいだ。二人で人ごみからはなれ沖の方にパドルしシェアしてもらったプルメリアを海に撒きフィルの名を呼びながら水面をたたく。しばらくして「フィルは何歳だったんだい?」とカマを振り返ると顔をくしゃくしゃにして全身で泣いていた。フィルとカマの結びつきは私のような新参者よりずっとずっと古く固く思い出もたくさんあるはずなので無理も無いだろう。私はそっとカマを一人にしてインサイドに移動した。振り返るとカマは我々が巻いたプルメリアにすっぽり包まれながら、ずっと一人で沖を見つめていた。

しばらくしてカマがインサイドに戻ってきたときに今日にしてはまともな腰ほどの波が入ってきた。カマはいつもの場所からレフトに乗り私は反対側からライトに乗ったが、さすがにその1本はだれも邪魔しにはこなかった。カマと同じ波に乗るなんて10年以上ぶりのことだろう。これもフィルのおかげだ。

陸に上がりフィルがまだ58歳で死因はガンだということを知った。シャイで無口だがサーフィンが上手で、最近ではスタンダップも初めコーブの決まった日はいつも顔を出し、よく同じポイントで波を分け合っていたのが良い思い出だ。

ビルにムーンにフィルとコーブを愛してきたスタイリッシュなサーファー達が続々と亡くなってしまうのは本当に残念だ。フィルさん、どうぞ安らかに眠ってください。
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